1.日本でもキャッシュレス化が進展
キャッシュレス決済の利用は日本において日常的なものになってきています。2022年12月の経済産業省の「消費者実態調査の分析結果」によると、日常生活において「可能な限りすべてキャッシュレス決済を利用」や「7~8割程度はキャッシュレス決済を利用」と回答した人が全体の54%を占めます。更に、「現金とキャッシュレスを半分ずつ程度利用」という回答も含めると68%に達します。
2.キャッシュレス化のメリット
これまでのキャッシュレス化はポイント還元目的で利用が拡大してきた側面がありますが、それ以外にも様々な利点があります。クレジットカード、デビットカード、電子マネーなどのキャッシュレス決済手段の利用は現金よりも決済にかかる時間が短くすみます。現金以外の電子決済の占める割合が高まって決済インフラが進展すると、社会全体で商品やサービスを購入する際の効率性が高まることが期待できます。
消費者は金融機関の窓口やATM から現金を引出して持ち運ぶ必要がなくなります。物やサービスを提供する小売業者にとっても現金の管理・運搬に関する手間を削減することができ、現金を管理・運搬する際の紛失や盗難のリスクも低減します。補償や保険が付帯しているクレジットカードや記名式の電子マネーであれば、偽造や不正使用によるリスクを低減できます。
現金決済では物理的に硬貨・紙幣をやり取りすることで取引が完了しますが、電子決済では電子データを記録することで取引が完了することになります。電子データがお互いの帳簿に記録されることで、経理処理や現金管理にかかるコストも削減されます。そのため、消費者はカード決済や電子マネーの利用状況を電子データで確認し、家計簿ソフト等を活用することで容易に資金管理が行えるようなサービスを安価で利用することができます。
小売業者サイドも現金取扱業務にかかる人件費や経費を効率化して商品開発やマーケティングといった業務に人員や経費を再配分することが可能になるだけでなく、大量の購買データ(どの属性の人が、どこで、なにを、どのくらい購入したか)を容易にかつ正確に入手することができるようになります。また、位置データ等も組み合わせて分析するなどして、需要予測に基づく商流・物流の最適化、広告等による消費者行動の活性化などから、更なる収益向上を狙うといったことも可能になります。また正確な利用状況が把握できれば、利用に応じた従量制などの料金体系で商品・サービスを提供することもできるようになるでしょう。
ビッグデータ分析による消費活性化以外の面でも、キャッシュレス化は経済活性化に寄与するとの指摘があります。現金決済の場合、消費者の予算は財布の中にある硬貨・紙幣の総額に制約されますが、キャッシュレス決済を活用できる場合は、金融機関に預けている預貯金にクレジットカードの与信枠を加えた総額にまで予算制約が拡大することになります。それに加えて、キャッシュレス決済はオンラインショッピングのようなデジタルエコノミーと親和性が高いと言えます。そのため、消費者がキャッシュレス決済を用いる際の物やサービスを購入する選択肢は、消費者自身が移動可能な距離の範囲にある実店舗にとどまらず、インターネットでアクセスできる範囲にまで大幅に拡大することになります。
昨今は公衆衛生上の観点でもキャッシュレス決済が注目されました。新型コロナウイルス感染症の拡大に際して、オンラインサービスの需要が伸びただけではなく、決済端末周辺での現金等のやりとりに伴う飛沫感染や接触感染に対する懸念から、非接触でかつ短時間で決済できるキャッシュレス決済の利用が増えました。キャッシュレス化の進展は、コロナ禍における経済活動の維持にも貢献したと言えます。
このように、キャッシュレス化も含めて決済のデジタル化は、消費者の利便性向上や店舗における現金取扱業務の効率だけでなく、データ利活用によって消費活性化にも寄与し、日本の経済成長が実現すると期待されているのです。
3.キャッシュレス化の課題
キャッシュレス化にも課題はあります。キャッシュレス決済に対して不安を抱える消費者は依然として少なからず存在しています。先に触れた経済産業省の「消費者実態調査の分析結果」ではキャッシュレス決済に対する不安について詳細な分析が行われており、全体において上位を占めているのが「お店に対する不安(15%)」「決済の失敗(15%)」「不正利用(15%)」「使いすぎ(6%)」「個人情報の漏洩(5%)」となっています。今以上にキャッシュレス化を進展させていくには、これらのキャッシュレス決済に起因する消費者の不安を払拭していくことが求められます。
消費者や店舗のキャッシュレス決済の利用意向についても、企業規模、商品・サービスの単価、業種などの違いによって濃淡があります。例えば、企業規模が大きい企業ほど現金取扱業務の効率化やデータ利活用の効果は大きくなります。単価の高い商品・サービスを提供する業種ほど、キャッシュレス化に伴うコストを吸収するのは容易ですし、消費者から見ても紛失・盗難のリスク低減の効果は大きくなります。行列を早く捌くことで回転率が向上して売上拡大が見込める業種では導入効果が大きくなることが見込まれます。逆に、企業規模が小さい企業、単価の低い商品・サービスを提供する業種、回転率が売上に大きく影響しない業種は、決済手数料などの導入コストに対するキャッシュレス化のメリットを感じにくく、これらの企業に対してキャッシュレス化を促すことが今後の課題といえるでしょう。
4.今後の注目点はBtoC以外のキャッシュレス化
2023年4月より「給与のデジタル払い」が解禁されました。給与のデジタル払いとは、これまでのような金融機関の預貯金口座ではなく、(決済アプリを提供するような)資金移動業者の口座に給与を支払うことを指します。経済産業省の「消費者実態調査の分析結果」によると、給与のデジタル払いの利用意向のある人は35%となっています。決済アプリをよく使う人にとって、チャージする手間を省くことができるという利点があります。そのため、給与のデジタル払いの導入は、今後企業にとって福利厚生につながる可能性があります。資金移動業者が給与デジタル払いに参入するには、「確実な支払い」を担保するための要件を満たす必要があり、厚生労働省への申請が必要になります。執筆時点(2023年9月)では、給与のデジタル払いが可能な資金移動業者はない状況です。
BtoC以外のキャッシュレス化をどのように進展させていくかも考えていくべき課題になっています。2022年11月に「情報通信技術を利用する方法による国の歳入等の納付に関する法律」、いわゆる「キャッシュレス法」が施行されました。この法律に基づいて、国等に支払う手数料をキャッシュレス決済手段で納付することが可能になります。今後GtoCやGtoBの領域でもキャッシュレス化が進展していくことが期待されます。
BtoBの分野ではクレジットカードを用いたキャッシュレス化が徐々に進展しつつあります。2022年のVISAによる「中堅・大企業における決済関連のニーズ調査」によると、中堅企業の56%、*大企業の64%が法人カードを導入しています。法人カードを用いたキャッシュレス化では、経理業務、従業員立替業務や仮払い業務の負担軽減の効果が期待されています。一方で、利用明細との照合作業や証憑の回収などで、改善すべき課題もあります。今後インボイス制度や電子帳簿記録法への対応が迫られている中で改善すべき課題はあるものの、導入を進めた企業では総合的にメリットの方が大きいと捉えられているようです。
*当調査では年商30~500億円の企業を「中堅企業」、500億円超の企業を「大企業」と定義
5.まとめ
2023年3月に経済産業省により「キャッシュレスの将来像に関する検討会 とりまとめ」が公表され、今後は社会的意義を意識しながらキャッシュレス化を進めていく方向性が示されました。この報告ではキャッシュレス推進の社会的意義として「消費者の利便性向上」「現金決済に係るインフラコストの削減」「業務効率化/人手不足対応」「公衆衛生上の安心の実現」「現金の保有や取引機会の減少による不正/犯罪の抑止」といった既存の課題の解決だけではなく、「データ連携・デジタル化」「多様な消費スタイルを創造」「脱炭素社会への貢献」といった新しい未来の創造についても触れられています。
これまではキャッシュレス決済を導入する意義として、2019年10月から2020年6月にかけて実施されたポイント還元策に代表される経済メリットがキャッシュレス化のドライバーの役割を担っていました。経済産業省にてキャッシュレス化の社会的な意義についても整理されたことで、今後これらを実現するべく官民で様々な政策が実施されることになります。
日本においてキャッシュレス化が今以上に進展していくには、経済メリットだけではなく、「キャッシュレス化は社会によって有意義なものだ」ということも広く認知されていくことが求められます。
以上
(執筆 ニッセイ基礎研究所 金融研究部 金融調査室長 福本 勇樹)
生23-3895,法人開拓戦略室