1.転勤をとりまく状況
一般的に、転勤とは「転居を伴う配置の変更」を指します。多くの日本企業では、特にいわゆる「総合職」の従業員に対して、転勤を前提とする働き方を求めてきました。2024年度の人事院の民間企業の勤務条件制度等調査においては、転勤制度を有する企業は全体で42.6%、従業員規模500人以上に限れば79.2%です1。その目的は、人材育成や人員配置の柔軟性確保などが中心です。
かつては、従業員も転勤を当然のこととして受け入れていました。博報堂生活総合研究所の調査では、1998年時点で全年代の39.0%、若年層(20代・30代)でもそれぞれ33.4%、36.4%が会社都合の転勤をやむを得ないと考えていました。しかし近年、こうした価値観が変化し、特に若年層を中心に転勤に対する忌避感が強まっています。実際、同調査は2024年時点で、20代で19.8%、30代で21.1%に低下しています2。
2.若年層の理想のライフコース
なぜ若年層の転勤に対する寛容度は低下したのでしょうか。その一因として、結婚や出産、共働きなどの人生設計に対する価値観の変化と関係していると考えられます(図表1)。
(資料)エン・ジャパン株式会社「1万人が回答!『転勤』に関する意識調査」(2019)よりニッセイ基礎研究所作成
国立社会保障・人口問題研究所の調査によれば、近年では結婚志向のある若年層が減少傾向にあることが指摘されています。ただ、現在でも30代前半の男性で約7割、それ以外で8割弱が「いずれ結婚するつもり」と考えており、依然として多くの人は結婚を理想のライフコースとして設定しています3。
一方で、理想とする共働きの姿は変化しています。男女ともに、「妻の働き方」に対する理想のライフコースは長らく、結婚・出産を機に退職し、子育て後に再び仕事を持つ「再就職コース」が最多でしたが、2021年の調査を境に子どもを持ちながら仕事も続ける「両立コース」がそれを上回りました。いまや、結婚・出産後も仕事を続けることを望む人が主流となっています(図表2)。
(注)両立コースとは、子供を持つが、仕事も続ける人。再就職コースとは、結婚・出産を機に一度退職し、子育て後に再び仕事を持つ人。専業主婦コースとは、結婚・出産を機に退職し、その後は仕事を持たない人
(資料)国立社会保障・人口問題研究所「第16回出生動向基本調査」よりニッセイ基礎研究所作成
女性の就労実態も変化しています。第二次安倍政権の女性活躍推進政策などもあり、2015年以降、女性の正規雇用者数は増加傾向にあります4。また、第一子妊娠中に正規雇用者であった女性が、退職や非正規雇用者となる割合は減少しています(図表3)。
(注)「退職又は非正規雇用」には、自営業を含む。結婚後・出産後は正規雇用者(民間企業)のみの値
また、育児中とは第一子が一歳の時点
(資料)国立社会保障・人口問題研究所「第16回出生動向基本調査」よりニッセイ基礎研究所作成
これらの結果から、現代の若年層は、「結婚し、夫婦で子育てとキャリアを両立する」ライフコースを前提とする意識が一般化しつつあることが分かります。
3.理想のライフコースに転勤はどう影響するか
1.キャリアや子育てに対する影響
では、こうした理想のライフコースに対して、転勤はどのように影響するのでしょうか。先行調査では、転勤が妻のキャリア継続や子育ての分担に大きく影響していることが明らかになっています。
2022年の厚労省調査では、有配偶かつ前職が正規雇用者のうち、「家族の転職・転勤または事業所の移転のため」に離職した者の約76%は女性でした5。似たような傾向は他の調査でも確認されています。2017年の独立行政法人労働政策研究・研修機構の調査では、夫が国内転勤の場合は妻の30.3%が、海外転勤の場合は50.7%が会社を辞めたと回答しています6。さらに、太田(2017)は、こうした夫の転勤により退職した妻の数は年間約2万人と推計しています7。また、退職後に転居先で正社員として働くことも容易ではないとのアンケート調査もあります8。これらの結果から、夫の転勤が特に妻のキャリアに与える影響が依然として大きいことが明らかです。
退職以外の選択肢として夫の単身赴任もあります。しかし、幼い子どもを有する共働き世帯では、いわゆるワンオペ育児となるケースが少なくありません。その結果、妻の就業継続が一層困難になります。また、勤務地変更や休職などの制度を妻が利用して対応する方法もありますが、川端(2018)が指摘するように、こうした制度を十分に備えていない企業も多く、また制度を設けていたとしても、赴任地や業務内容、タイミングなどとの兼ね合いがあり、制度の利用は簡単ではありません。また、休職できた場合でも、妻にキャリアブランクが生じるリスクがあります。いずれの対応をとっても、若年層が理想とする「キャリアと子育ての両立」には少なからず影響が避けられません。
夫の転勤が理由でり妻が退職した場合、家計への影響が大きいことを示す調査もあります。内閣府の試算では、妻が非正規雇用や無業となった場合、正社員で働き続けた場合と比べて、生涯可処分所得が最大で約1.7億円減少するとされています(図表4)。経済的な理由から共働きやキャリア継続を望む人が多い現状を踏まえると、転勤は家庭のライフプランやキャリア形成に大きな影響を及ぼす可能性があります。
(注)前提:夫婦子供二人世帯・妻が29歳で第1子、32歳で第2子を出産。離職後再就職ケースでは、第2子が6歳になった時点で復職した想定。税・社会保険料支払い後の生涯可処分所得。その他詳細は出典資料を参考されたい
(資料)内閣府「女性の出産後の働き方による世帯の生涯可処分所得の変化(試算)」(2024年6月5日)よりニッセイ基礎研究所作成
2.転勤が結婚を難しくする現実
東京商工会議所の調査によると、東京在勤の独身男性の20.0%、独身女性の10.8%が転勤や単身赴任の存在を結婚のハードルとして挙げています9。また、転勤を経験した20代~30代で約半数前後の人が、「転勤によって結婚しづらくなった」、「子どもが持ちづらくなった」と回答しています(図表5)。
(注)「そう思う」、「ややそう思う」の回答率の合計値
(資料)独立行政法人労働政策研究・研修機構「企業の転勤の実態に関する調査(2017)」よりニッセイ基礎研究所作成
株式会社エニトグループの調査によると、婚活中の人の過半数は、転勤により「遠距離恋愛になること」や、「パートナーの理解が得られない」などの不安を抱えているとしています10。転勤による物理的な距離の存在などが、結婚を意識するうえで大きなハードルになっていると考えられます。
4.転勤リスク回避の動き
若年層の間では、転勤制度をリスクと捉え、これを回避しようとする動きが強まっています。例えば、転勤の多い会社を志望先から外す、あるいは転勤を契機に退職を選択するなど、具体的な行動として表れています。
こうした傾向は、新卒採用の場面にも見られます。企業の採用意欲の回復や人手不足、少子高齢化などを背景に、2015年頃からの新卒採用市場は学生優位の状況が続いており、多くの企業が採用母集団の確保に苦戦する一方で、複数内定を得る学生は珍しくありません11。
こうした中、転勤の存在が学生の企業選びに一定の影響を与えていると言えます。マイナビの「2026年卒大学生就職意識調査」では、31.0%の学生が行きたくない会社として「転勤の多い会社」と回答しています。その割合は近年増加しており、2026年時点で「ノルマの多い会社」に次いで2番目に高い回答率となっています12。また、転勤制度のある企業へのエントリーを避けた経験のある学生は42.3%という調査もあります13。
入社後に、転勤を契機に退職に至る割合も増えています。エン・ジャパン株式会社の調査によれば、20代の転勤経験者のうち、「転勤は退職のきっかけになる」と回答した人が69%にのぼりました。その25%は実際に退職を経験しています。また、同調査では、20代の約66%が「今後、転勤の辞令が出た場合、退職を検討するきっかけになる」と回答しています14。これらの結果から、転勤を契機に退職や転職を検討する若年層が少なくないことが明らかになっています。
5.企業は価値観の変化にどう向き合うべきか
若年層の働き方やキャリア志向の変化を背景に、人手不足・採用難の状況下で、転勤制度を見直す企業も現れています15。
転勤制度の見直しは、「制度そのものの縮小・廃止」と「現行制度のまま支援を厚くする」の2方向に大分されます。前者には、リモートワークなどを活用して転勤そのものをなくす、あるいは転勤の可否を選べる仕組みを整え、転勤の存在意義自体を見直す取り組みが含まれます。一方、後者には、転勤を前提としつつ、一時金の支給や手当の充実など、経済的な支援を創設・強化する取り組みが位置づけられます。
こうした中、近年では②のような経済支援を中心とした転勤制度の見直しが広がりを見せています16。特に子育てなどでお金のかかる40代以降を中心に、幅広い世代からニーズがあります17。また、①に比べて人事上の障壁が少なく、企業にとっては比較的取り組みやすいことも考えられます。
ただし、②のような経済支援を前提とする見直しでも転居が前提である点には変わりなく、ライフコースに与える影響は避けられません。パーソル総合研究所の調査では、転勤のある企業で働く総合職社員のうち、20代男性の22.0%、女性の27.1%が「どのような条件であっても転勤は受け入れない」と回答しています。30代でもそれぞれ約2割程度の人が同様に考えています18。有望な若年層を採用し、定着させるという観点からは、①のように転勤の存在意義を見直すことも重要な検討課題といえます。
とりわけ全国展開している企業では、転勤を完全に廃止することは容易ではありません。一方で、転勤の目的に照らしあわせても、必ずしも必要性が高いとはいえない事例も存在します。例えば、多くの企業が人材育成を目的に掲げる一方で、従業員側ではその効果を十分に実感しているわけではありません。むしろ、転居の伴わない異動でも目的を果たせるとの見方も見られます19。転勤は「当たり前」と捉えるのではなく、真に必要な転勤を精選するという意識改革も必要ではないでしょうか。
若年層の間で転勤に対する忌避感が強まる中で、転勤制度を有する企業は、こうした動きに向き合わざるを得ません。今後、企業がどのように制度の見直しを進めていくのか、その動向が注目されます。
(執筆)ニッセイ基礎研究所 河岸秀叔 総合政策研究部 研究員
生25-6298,法人開拓戦略室
【参考文献】
1 人事院.民間企業の勤務条件制度(令和6年調査結果).
2 博報堂生活総合研究所. 生活定点1992-2024
3 国立社会保障・人口問題研究所. 第16回出生動向基本調査. 2022-09-09
4 厚生労働省.労働力調査
5 厚生労働省. 令和4年度就業構造基本調査.
6 独立行政法人労働政策・研修機構.企業の転勤の実態に関する調査.2017
7 太田聰一. 夫の転勤による妻の無業化について. リクルートワークス研究所. 2017-03-15
8 株式会社イノベーター・ジャパン. 転勤帯同に関する調査概要. 2022-12-1
9 東京商工会議所.「東京在勤若者世代の結婚・出産意識調査」結果. 2024-08-21
10 株式会社エニトグループ.【omiai】転勤が「婚活の壁」に?マッチングアプリ「omiai」調査で見えた”転職と恋愛・結婚”のリアル.2025-04-14
菊乃.「転勤は結婚のハードルになる」と年収700万円以上に男性は不安に…一方、女性は意外と前向き?“460人調査”でわかった「結婚と転勤の相関性」. 東洋経済ONLINE. 2025-04-05
11 河岸秀叔.内定辞退の理由と現状から内定者フォローの重要性を考える.2024-09-03
12 マイナビ.2026年卒大学生就職意識調査.2025-04-23
13 株式会社ペンマーク.【Z世代実態調査】大学生の7割、企業選びで「転勤の有無を重視」~応募回避や内定辞退にも影響、女性の8割が転勤の有無を意識~.2025-04-15
14 エン・ジャパン株式会社. 転勤に関する調査. 2025-08-04
15 河岸秀叔. 見直しが求められる転勤制度. ニッセイ基礎研究所.2024-03-15
16 友部温. 転勤後押し、手当で報いる. 日本経済新聞社. 2024-04-29
17 株式会社Indeed. 転勤に関する意識調査 詳細データ集. 2023-05
18 パーソル総合研究所. 転勤に関する定量調査. 2024
19 例えば、中央大学の調査では、「転勤の経験は、転勤以外の異動の経験に比べて、能力開発によりプラスになった」と考える転勤経験者の割合は、全体の38.5%であった。一方、「(両者に)違いはない」「転勤経験でないほかの異動の方が能力開発面でプラスになった」と考える転勤経験者の割合は合計40.2%であり、「転勤」の人材育成効果を必ずしも社員が実感しているとは限らないことが分かる。
中央大学大学院戦略経営研究化.ダイバーシティ経営推進のために求められる転勤政策の検討の方向性に関する提言.2016-11-29
川端由美子. 配偶者の転勤に対する諸制度とその課題 -異動、休職、再雇用の観点から-. 日本労務学会誌. 2018年19巻第1号


