1.ESGへの取り組みと本来の業務との兼ね合い
ESGに取り組むことについては、なぜ取り組むのかをきちんと考えることが重要であり、一時のブームだからとか、横並びで必要と思えるからなどの曖昧な考えで取り組むべきでないことを、これまで主張して来た。ESGに取り組む際に、まず、忘れてならないのは取り組みが自社のためであり、次に、それが自社の所属する社会や経済、ひいては地球全体のためになるということである。自社のためであることを忘れてしまうと、それは時に他事考慮になり、組織の本来の目的から逸脱してしまうことも考えられる。単純な“世のため、人のため”に取り組む「正義の味方」である必要はない。営利企業には株主やステークホルダーから付託された使命があるし、他の多くの団体にも経営方針や理念・目的が存在し、多様な利害関係がある。慈善団体とは異なるのである。
一方で、ESGに取り組むことが、ゆとりのある企業や団体の余技や追加的な行動と見られることも好ましくない。かつてのメセナやフィランソロフィーといった社会活動は、大企業や優良企業が有り余る経営資源をほんの少しだけ投入し、社会的名声を得るために行っているように捉えられるケースもあった。ESGへの取り組みは、それらと同様のものになり下がってはならない。経営方針や経営理念の根幹に基づいた経営活動の一環として、取り組まれるべきものである。
社会のため、地球環境のため、とだけ主張していると、事業会社によるESG経営も投資家によるESG投資も、取り組むこと自体が良いことであると過剰に意識され、本来の企業や組織の目的を見失ってしまいかねない。過剰なまでのESGへの取り組みは抑制されるべきであろう。本来として営利企業であることを忘れないように努めるならば、自然と過剰な取り組みは抑制され、むしろ過少気味な取り組みに留まってしまう可能性が高い。結局のところ、やり過ぎでないかと常に自問自答で確認する必要があるものの、本業を疎かにしなければ、過剰な取り組みになることはないものと思われる。
2.ESGの各要素は等価値ではない
ESGへの取り組みを進める際に、EとSとGとに等分の取り組みを行うことは現実的でない。EとSとGと三つを並べているものの、それぞれが等価値なものであるとは到底思えない。Eについては、気候変動や温室ガス排出抑制など、もっとも影響が大きく、それに対する取り組みも目に付き易い。裏返せば、取り組んでいるということを、組織内部にも外部に対しても、もっともアピールし易いのである。地球の温暖化に対して各国が共同して取り組んでいることに、世界的にも注目が集まっているし、何しろ降雨量の増加や台風の激烈化など身近な問題である。Eに関連した取り組みでは、TCFD(Task Force on Climate-related Financial Disclosures)やCOP(Conference of the Parties)など様々なアルファベットの略号が乱れ飛んでいる。それは、良い。取り組んでいることに、何らの問題はない。だが、アピールのやり過ぎは禁物なのではなかろうか。
真剣に一途に取り組んでいる人たちには敬意を表するが、時には一歩退いて、目に見え易いことに取り組むことで、より大きな課題を忘れていないか見直すことも必要であろう。適切に廃棄処理されていないレジ袋が散乱して海洋を汚染し海生生物が誤って食べる等の被害が生じている。そのために、一部の例外はあるものの、店舗での無料レジ袋配布を見合わせる。次の段階としては、店頭でのストローやフォーク等の無料提供を止める。もちろん原油に由来しながら自然界には存在しないプラスチックに依存した現代社会の在り方に、問題がないとは言えない。しかし、利便性を放棄することによって得られるものが、単なる取り組んだことに対する満足感だけでは寂しい。取り組んだことによる効果の検証が必要だろう。
太陽光パネルを空き地に設置して太陽光発電を行うことで、化石燃料の燃焼によって二酸化炭素を排出する火力発電への依存を減らすことも、その局面のみを捉えるのであれば、明らかに良いことである。しかし、太陽光パネルが耐久年数を越えた際に、どのように廃棄処理されるのだろうか。かつて原子力発電において放射性廃棄物の処理が問題視され、“トイレなきマンション”という批判を浴びたが、太陽光パネルも再び同じような道を辿ってはいまいか。
結局のところ、手段と目的をはき違え易いという人間の典型的な思考と行動のパターンに陥ってしまう懸念がある。常に、目的を意識して取り組むことが重要だと指摘しているのは、ESGやSDGs(Sustainable Development Goals)の一歩先を考えて取り組む必要があると考えられるからである。そのためには、ESGの三要素の中で、もっとも見え易く、かつ、取り組み易いEの要素への取り組みを少し抑制気味にして、SやGといった他の要素を真剣に考え、目に見えるように取り組むことをお勧めしたい。
もっとも、Sを極論すれば、決して労働環境やジェンダーなどの問題に限られず、社会の在り方全般を意識した幅広いものを含む概念であり、それこそサステナビリティというSDGsの思想に繋げて取り組まなければ、何のために、何に取り組んでいるかを見失ってしまいかねない。特に、中央や地方の政府は、そもそもの存在意義が社会の存続を非営利の観点から支えるものであり、敢えてSの課題に取り組んでいると表明しなくても良いのではないか。社会全体について考えるならば、EですらSの一部として考えることすら可能なのである。
また、Gについては、EやSとは同じ次元に存在するようにも見えるが、実際はSやGに取り組む際の前提条件みたいな存在であり、時に、EやSに関する法令遵守やガバナンスといった局面で表に出て来ることがあるものの、一般的には一段後ろに下がった取り組みとなるものだろう。したがって、グリーンボンドやソーシャルボンドと同じような形でのガバナンスボンドといった債券の発行による取り組みは考え難い。
3.SDGsとESGを統合的に考えよう
ESG概念は、自からSDGsに包含され、将来的には、特に、サステナビリティという形で収斂することが予測される。国連の設定したSDGsは17の目標からなり、その中には、民間の営利企業が取り組むのに、必ずしも即していないものも含まれている。例えば、最初の二つをとっても、目標1の貧困については、“あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる”とあるが、だからと言って、民間企業が採算を越えて従業員の給与水準を高め、雇用を無限に拡大することまでは求められないだろう。目標2の飢餓にしても、“飢餓を終わらせ、食料安全保障及び栄養改善を実現し、持続可能な農業を促進する”とあるが、すべての企業や団体が炊き出しを行うべきではないし、農業に取り組めということでもないだろう。
すべての企業や組織が、すべての目標に同じように取り組むことは求められていない。ESGはSDGsと関連する文脈で理解すべきであり、17と数多い目標を取り組み易くするための、一つのステップと考えるべきである。意識しないと、すぐにSDGsの全部の目標に対して取り組み、全項目について進捗を管理しようとする組織が出て来るのではないか。同時に、今後、ESGとして取り組まれる内容も、取り組みのウェイトも変化して行くことが期待される。SDGsとESGを統合的に考えて行くことが必要だろう。
以上
(執筆 德島 勝幸(とくしま かつゆき) 金融研究部 取締役 研究理事 兼 年金総合リサーチセンター長 兼 ESG推進室長
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