1.インドが人口世界一に
国連経済社会局の推計によると、インドの総人口が今年4月末までに14億2,577万人となり、中国を抜いて世界最多になったとみられています。インドは2060年代には総人口が17億人近くまで増加すると予測されている上(図表1)、平均年齢が28歳と若く、2050年まで人口ボーナス1期が続くとみられています。
(図表1)
人口ボーナス期は豊富な労働力を背景に個人消費が活発になる一方で、高齢者が少なく社会保障費が抑えられるため、経済成長にプラスに働きます。そのためインドは人口ボーナスによる長期的な経済成長が期待されており、世界の注目を集めています。日本企業の間でも急拡大を遂げるインド市場に乗り遅れないよう、可能な限り早期のインド進出を目指す動きが増えてきています。
1人口ボーナスとは生産年齢人口(15歳~64歳)がそれ以外の人口(従属人口)の2倍以上に達する状態。
2.人口増加は経済成長に寄与するも、雇用創出が課題
人口増加は理論上、労働投入量の増加や資本ストックの増加、社会保障負担の減少などを通じて経済成長にプラスに働きます。ただし、必ずしも経済成長が約束されている訳ではありません。経済成長の波に乗るには、労働力人口の増加に見合った雇用の創出が必要です。仮に雇用が不足したまま人口が増加すると、飢餓の深刻化やスラム人口の増加などの貧困問題が悪化する恐れがあります。
インドの生産年齢人口は今後10年間、毎年1,000万人前後のペースで増えると予測されています。しかし、現在労働人口の約9割が非正規で、低生産性・低賃金の状況にあります。そのように質の高い職が足りない状況において、いくら働き手が増えても効果的な経済成長には繋がりません。したがって、インド政府は増加する働き手を労働力として吸収することができるように産業を育成する必要があるのです。
中国などの東アジア諸国はこれまで製造業を中心に発展してきたのに対して、インドは1990年代半ばからサービス業が経済成長を牽引してきました。特に国際競争力を有するソフトウェア開発などのITサービス業は従業員数が現在500万人程度にまで上り、毎年数十万人のペースで増えていますが、毎年1000万人増える働き手の雇用の受け皿としては不十分です。
多くの雇用を創出するには成長余地が大きい製造業を育成することが有効とみられています。産業別GDPシェア(2020年)をみると、インドの製造業は13%と中国とタイの25%、ベトナムの19%を下回るなど工業化が遅れているほか、農林水産業のシェアが19%と高く、第一次産業から第二次産業、第三次産業へのシフトが遅れていることが分かります(図表2)。このためインドにとって伸びしろのある製造業を強化できれば、農村部にある膨大な余剰労働力を吸収することができる上に、輸出拡大による貿易収支の改善を通じてマクロ経済の安定も期待できます。つまり、今後のインド経済の持続的な高成長には政府の製造業振興策の成功が不可欠といえるでしょう。
(図表2)
3.モディ政権の製造業振興策
モディ首相は2014年の政権発足から製造業振興を柱とする「メーク・イン・インディア」をキャッチフレーズに様々な経済改革を進めてきました。例えば、外国資本を呼び込むための外資規制の緩和や不良債権処理を加速させるための破産・倒産法の整備(2016年)、複雑な税体系を簡素化する物品サービス税の導入(2017年)などが主な成果として挙げられます。一連の経済改革を通じてビジネス環境を改善することにより、海外から投資を呼び込む考えです。実際、政権1期目にビジネス環境は大きく改善しましたが、GDPにおける製造業のシェアは政府目標の「2022年までに25%」から乖離した低空飛行が続くこととなりました(図表3)。
(図表3)
そこで2019年に2期目に入ったモディ政権はコロナ禍で「自立したインド」という新たなスローガンを打ち上げました。「自立したインド」はグローバル・サプライチェーンにおける自国の地位向上と輸入依存の低減を通じた経済安全保障の確保を目指すものです。現在は国内生産を促す「生産連動型インセンティブ(PLI)スキーム」や半導体関連企業を誘致する「インド半導体ミッション政策」などの企業支援策、そしてインフラ開発を加速させる国家インフラ計画「Gati Shakti」など、製造業振興策を梃入れする政策が推し進められています。
貿易政策を巡っては、コロナ後に米国やEU、英国、韓国、カナダとの間で貿易交渉を開始・再開しており、2022年にはUAEやオーストラリアとの間で自由貿易協定(FTA)を締結しました。このようにインド政府は二国間の貿易交渉には前向きな姿勢を示していますが、「地域的な包括的経済連携(RCEP)協定」の署名見送り(2020年)や繊維製品や履物、家具などの輸入関税の引上げなど貿易自由化に逆行する動きもみられます。これは国際競争に耐えられない幼稚産業と雇用を保護するための措置とみられます。自由化率の高いFTAの実現のほか、土地収用の円滑化や労働者に有利な労働法の改正など積み残された課題は少なくありません。インドは民主主義国家であるがゆえに経済自由化を無制限に受け入れることは難しく、工業化の速度は一党独裁で意思決定の早い中国と比べて緩慢になるでしょう。
4.脱中国の流れが新たなインド製造業の転機に
産業全体で捉えると、インドの製造業振興策の進展は見えにくいですが、個別にみると成長著しい産業があります。それはモディ政権発足後から急成長を遂げている電子機器セクターです。電子機器セクターは二桁成長を続けており、生産額は2014年度の300億ドル台から2021年度には約800億ドルまで増加しました(図表4)。
(図表4)
電子機器セクターの中でも携帯電話が大きく伸びており、2022年9月に米アップルがiPhone14をインドで製造を開始したことは象徴的な事例として挙げられます。携帯電話製造の増加は輸出の急成長にも繋がり、インドの携帯電話輸出は2017年度の2億ドルから2021年度には55億ドルに増加、更に2022年度には前年度比2倍の111億ドルに達したとみられています。このほか、昨年以降、台湾の電子機器製造大手フォックスコンや米国の半導体大手マイクロンがインド国内で半導体事業を立ち上げる動きが進むなど、インド悲願の初の半導体製造にも光がさしてきています。
ここ数年はインド政府のPLIスキームをはじめとした製造業振興策に加え、過度の中国依存を減らす「デリスキング」が投資誘致の追い風となっており、インドにとって製造業を飛躍的に成長させることが可能な絶好の機会を迎えています。貿易・投資の自由化を背景に工業化で一定の成功を収めたタイやベトナムと比較すると、保護主義的な傾向が目立つインドは、輸出型製造業の立地としての評価が低いため、「世界の工場」の役割が急速に中国からインドへと移り変わる可能性は低いように思われますが、現に電子機器セクターが急成長を遂げているようにモディ政権の製造業振興策は着実に前進しています。少なくともインドは膨大な国内需要を国内生産で賄える製造大国になり、周辺の南アジアやアフリカ向けの輸出拠点としての機能を持つようになるものと思われます。
以上
(執筆 ニッセイ基礎研究所 経済研究部 准主任研究員 斉藤 誠)
生23-4156,法人開拓戦略室